小さな・・・手をつなぐ

木村泰雄

 私の特別支援教育のスタートは、昭和48年4月岩手県最初の精神発達遅滞児教育として開校した岩手県立花巻養護学校です。盲・聾教育はすでに昭和23年に義務化されていましたが、養護学校教育は就学猶予・免除がありました。

 国は昭和54年から養護学校教育を義務制とすると予告、全ての子ども達への教育保障がなされました。当時の運動は、保護者と連帯し、義務教育修了後の教育「高等部」設置でした。県当局へ訴え、県議会議員との会合も行いました。

 養護学校教育の義務制に向けて、昭和48年~49年文部省特殊教育推進地区に盛岡市が指定され、「教育の向上と市民への啓発」を目的に80余の関係機関・団体の賛同を得て盛岡市障害児教育推進協議会が発足し、全国でも類を見ない貴重な組織として、今日まで継続されています。

 現盛岡市手をつなぐ育成会は、かつて盛岡市精神薄弱者を守る会の名称で、事務局は学校に置かれ、先生方の多大なご協力がなされていました。当時から盛岡市特殊教育研究会と共催で、運動会・作品展示会・学習発表会を実施してきました。

 私は、全県が学区だった岩手県立花巻養護学校、次いで岩手大学教育学部附属養護学校、岩手県立みたけ養護学校と勤務し、子ども達、保護者から多くを学び成長してきたこともあり、平成16年に盛岡市手をつなぐ育成会副会長への声をかけて頂き、喜んで役員として仲間に入れて頂き、その後、顧問となりました。

 役員としては、小枝指さん、小野寺さん、そして事務局の酒井さんなどと共に、盛岡市立ひまわり学園、小中学校、しいのみホームなどに出向き盛岡市手をつなぐ育成会の紹介とご協力をお願いしました。

一人の手の歌には

一人の小さな手 何もできないけど

それでも みんなの手と手をあわせれば

何かできる 何かできる

とあります。私達が手をつなぐことにより、子ども達の豊かな安心した生活ができると信じています。